味噌の逸話 of 味噌屋 唐崎商店 ホームページ

HOME > 味噌の逸話


miso2.jpg昔から日本人に愛されてきた味噌は、
多くのことわざにも登場します。
昔の人は上手く表現したものです。
目からウロコなことわざをご覧下さいませ。



■「味噌汁は医者殺し」
■「医者に金を払うよりも、味噌屋に払え」
■「味噌汁は不老長寿の薬」
■「味噌汁は朝の毒消し」
■「味噌汁一杯三里の力」
■「着物(かかあ)、質に入れても味噌を煮ろ」
■「五割の金を借りても味噌を造れ」


これらは江戸時代のことわざです。
いずれも味噌汁は体に良いという意味です。



■「味噌をつける」


失敗するという意味だそうです。
その昔、味噌は火傷や切り傷に効くとされていました。
だから手に味噌を付けている人は「失敗して火傷をした人」と見られていたのですね。



■「女房と味噌は古いほど善い」
■「医者と味噌は古いほど善い」


医者も女房も経験豊富な方が善い、味噌も時間が経てば味がなじんで美味しくなる。という意味です。



■「味噌買う家は蔵が建たぬ」

味噌は買うものではなく自分で作るもの、という事が昔の常識でした。
ですから、味噌を買うようではお金が貯まらず家などは建たないよ、という教えです。



日本人の生活に深く関わってきた味噌は童謡にも登場します。
実はこの童謡の歌詞には深い意味が存在します。
当時の時代背景がよく現れた歌を紹介します。






zuizui.jpg● 歌詞 ●
ずいずいずっころばし ごま味噌ずい
茶壺に追われて 戸っぴんしゃん
抜けたらどんどこしょ
俵のネズミが米食ってチュウ チュウ チュウ チュウ
おっとさんがよんでも おっかさんがよんでも 行きっこ無しよ
井戸の周りでお茶碗書いたの だあれ


● 意味・時代背景 ●
この歌は、江戸時代に行われていた「徳川家への献上品を届けるための大行列」の様子を歌ったものだと云われています。
京都宇治市の名産品である「宇治茶」を徳川将軍家に献上するために、茶を詰めた茶壺を運ぶ行列と近隣住民の様子です。
ちなみに行列が使用した東海道や中山道は「茶壺道中」と呼ばれました。
行列の人数は数百人から数千人の規模だったそうです。
歌詞の意味はこんな感じです。

将軍様に献上するお茶壺道中が来ました。
そそうがあると怖いから、家の戸をピシャッと閉めて味噌でもなめていよう。
行列が行ってしまったら外で遊ぼうね。







mono_knit03.pngmono_knit02.png● 歌詞 ●
かあさんが夜なべをして 手袋編んでくれた
木枯らし吹いちゃ 冷たかろうて せっせと編んだだよ
ふるさとの便りは届く いろりの匂いがした

母さんは麻糸つむぐ 一日つむぐ
おとうは土間で わらを打ち仕事 お前も頑張れよ
ふるさとの冬は寂しい せめてラジオ聞かせたい

かあさんのあかぎれ痛い 生味噌を擦り込む
根雪も溶けりゃ もうすぐ春だで 畑が待ってるよ
小川のせせらぎが聞こえる 懐かしさが沁み通る


● 意味・時代背景 ●
この歌にも味噌が登場します。
昔は「火傷やあかぎれに味噌が効く」と云われていたようです。
その言い伝えが歌詞に現れていますね。
しかし「味噌が傷に効く」という事は科学的には証明されていません。
あくまで言い伝え、迷信だったようです。
昔は薬が手に入りにくかったですからね。様々なものを活用していたのでしょう。
味噌もそのひとつ。いかに味噌が万能で重宝されていたかを物語る歌です。